介護続き、悔悟続く〈はじめまして〉

  とうとうその日が来たか、と落ち込んだ。

 「あん人は、だっかい(あの人は、だれかい)?」。88歳の父が僕のことを思い出せなくなり、車椅子生活が長い母が寝ているベッドまで聞きに来たという。2カ月ほど前のことだ。

 

 毎朝6時に起きて朝食を作り、排泄物で汚れた父のももひきを鼻をつまんで手洗いすることも、両親が出す使用済み紙パンツをパンパンにごみ袋に詰め込み、ごみ置き場まで出しに行くことも、その他、家事全般を引き受けながら、会社勤めも続けているというのに。61歳の僕の体力だって、かなり限界に近いのだ。癌の治療からまだ2年たっていない。それなのに、名前を忘れるなんてひどいじゃないか。あなたがつけた名前だろ?

 

 父は昨年のクリスマス・イブまで、認知症の診断こそ受けておらず、パーキンソン病により認知機能が低下している」と診断されていた。パーキンソン病なので、すり足のよちよち歩き。体が右側に傾いて、食事をボロボロと右側の床にこぼしながら食べる。「右傾化は日本のためにもよくない!」と文句を言うのだが、特に何の反応もない。笑ってもくれない。いつかこういう日が来ると覚悟はしていたが、やはりショックだ。

 

 とはいえ、完全に僕のことが分からなくなったわけではない。先日も汚れた紙パンツを床に放置したことをとがめ、何度同じことを言わせるか、そんなに俺の仕事を増やしたいのか、俺だって疲れ果てているんだ、と詰め寄ると、「私のために、あんたがいろいろしてくれるのはありがたいと、感謝している」なんていう言葉をポツリと漏らす。そんな言葉を聞くと、自分が発した怒りの声が自らにはね返ってくる。何度同じことを繰り返しているのだろう。

 

 昨年のクリスマスイブに、父を大学病院に連れて行った。最近、あまりに認知機能が衰えた気がしたので、これもパーキンソン病の悪化なのか、と父の主治医に尋ねてみた。早速、認知症のテストをしてくれ、あっさりと「アルツハイマー認知症パーキンソン病に被さっている状態のようですね。きょうから認知症の薬を出しましょう」と認知症の宣告をされてしまった。まずはガランタミン4㎎。とんだクリスマスプレゼントだった。

 

 父は最近、自分がかつて数年暮らしたことのある隣県にいると勘違いしていることがよくある。特に夕方になると、ジャンパーを着込み、リュックサックを背負って、川のほとりの街にある自宅に帰ると言い張る。主治医によると、「夕焼けチョウコウ(兆候?)」という認知症の症状の一つなのだそうだ。「夕暮れ症候群」などともいう症状なのだろう。夕方になると、人は子どもの頃の記憶が蘇り、「うちに帰らなくては」と気持ちがせき立てられる。あるいは家で待つ家族のために食事の支度をしなくては、とあせる。「ここがあんたのうちだ」と説得するのは、なかなか骨が折れる。

 

f:id:kineC:20201231211915j:plain

 

 昨年中に始めようと思ったこのブログですが、初回がとうとう年を越し、早くも1月も終盤です。予定より2カ月近く遅れてしまいした。介護はなかなか忙しく、仕事の時間も、ブログを書く時間も圧迫します。先が思いやられますが、何とか書き続けていければ、と思います。よろしくお願いします。